谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』
山倉さんに便乗(遅い、というツッコミは聞かない)
- 作者: 谷川流,いとうのいぢ
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/06/01
- メディア: 文庫
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そこで、自分も一つ書こうかな、と考えた。ついでに「続きを読む記法」の練習(ってほどでもないか)もして、これからのミステリの感想にはネタバレも書けるようにしようと。
ちなみにここまで四冊読んだ限りでの評価を順番に並べると、『憂鬱』★★☆☆☆/『溜息』★★★☆☆/『退屈』★★★☆☆/『消失』★★★★★である。この評価でも甘め(というか基本的に自分の評価はどれも甘め)なので、厳しい人は★の数が一つか二つは減るだろう。
てなわけで、「続きを読む」以下では『憂鬱』の結末からネタからなにもかもバラしてますんで、『憂鬱』未読でかつ、アニメ未視聴の方は読まないことをお勧めします。
さて、涼宮ハルヒというヒロイン(主人公?)だが、個人的には「まあアリだろうな」と思ってる。確かに突飛な言動やその動機は相当に青い、というかはっきり言ってガキなのだが、「つまらない」と言いながら流されるままで何もしないような人間(実際そういう人は多いのだ、自分を含めて)よりはかなり好感が持てるし、率直なところ水無灯里嬢のような境地まで行ける人はそんなにいないと思うのです、山倉さん。
じゃあどの辺が不満なのかというと、一番大きいのは以下の二点である。
- キャラクターの動かし方
これは『憂鬱』に限らず、(今まで読んだ)ほぼ全作品に言えるような気がするが、キャラの立て方はいいのに動きがぎこちない、という印象がある。特に朝比奈みくると古泉一樹の二人は動きが少なすぎて、ほとんど活躍の場がない。
みくるには未来人・時間旅行者・萌えキャラ、古泉には超能力者、という能力をわざわざつけたのに、それがほとんど機能していないのだ。まあ古泉は無駄な解説をする電柱役でいいとしても、みくるの立場が小説ではもったいないくらいに弱い。
これは二人の能力が限定されすぎているのと、ハルヒと長門有希の能力がずば抜けているのが大きい。ハルヒは「無自覚の神」的な不可解パワーを持ってる上に何でもこなす万能人間だし、長門は宇宙人としての能力に制限がまったくかかっていない(ように見える)。そのため、ハルヒをトラブルメーカーとして置いた場合に、解決役を(取りあえず)長門にしてしまえば話が進んでしまう場合が多く、結果みくるや古泉の立場が弱くなってしまうのではないか。
古泉はいいとして、みくるがこれでは可哀想、というかバランスが取れていない。もう少し能力の幅を広げた方がいいんじゃないだろうか。
ただし、アニメ版のみくるの存在感は凄い。これはやはり作画の人と、声優(後藤 邑子)の力だろう。本当に凄い。
- 後半の展開
後半、というかラスト、ほとんど強制終了みたいなやり方で終わらせるのがどうにも納得いかない、と思っていたら「ラブコメとして見ればいい」的な発言をどこかで見て「そういう見方もあるのか」とちょっと目から鱗が落ちそうになった、がやはりこの終わらせ方は不自然だと思う。
どこがどう不自然なのかというと「白雪姫」と「キョンとハルヒのラブコメ」を掛けたオチなのに、そこに至る伏線が少なすぎる、というかほとんどないところである。
「白雪姫」としてのオチ。確かにみくるや長門からヒントは与えられているものの、肝心の閉鎖空間内で「白雪姫」を彷彿とさせるような描写はまったくない。少々露骨でも「白雪姫」からのインスパイアがあった方が結末に納得がいくように思う。例えば、ある日突然ハルヒが昏睡状態に陥り、キョンが心配しながらも眠りにつくとなぜか閉鎖空間に。校舎のSOS団の部室にはハルヒが閉じ込められていて、キョンの行く手には「神人」が……だと「眠れる森の美女」になってしまうか。
ラブコメとしてのオチ。この場合、キョンがハルヒに対してそれなりに好感を抱くのが大前提なのだが、その過程がぶっ飛んでしまっている。ハルヒの回想シーンでのキョンの反応にその芽が見れなくもないが、その次にはいきなり閉鎖空間に入ってしまっていて、芽が育つ暇もない。この過程がほとんど書かれないため、ラブコメとしても中途半端なところで終わってしまったような感じがする。
どちらから見ても後半の展開が駆け足すぎる。もっとじっくりと話を展開させてほしかった。
随分長くなったが、この辺で。『溜息』は……やらんだろうな。